高校では英語で授業?

 先日の新聞に出ていましたよね。
 新しい指導要領では英語で授業をするのですか。
 前から思っていたんだけど、なぜそんなに必死になって英語を勉強するのでしょうか。アメリカの51番目の州にでもする気ですか。保守の自民党が認めることとは思えないんだけど…。それとも自分たちが英語をしゃべれないことの反省からですかね。
 現在の「最悪」の指導要領で、「いわゆる」学力格差が広がったことについてしっかりと反省しているんでしょうか。
 例えば、英語。週に3時間に減らしておいて、会話も重視。そんなことができるわけがない。それでいて、入試を含むテストは相変わらず長文や文法、作文も出る。
 学校の授業だけでまかなえるわけがないんですよ。だから、お金があって塾に行ける人は金で学力を買えるというしくみができあがり、いわゆる学力格差が創り出された。
 総合的な学習やゆとりの教育で土日の休みに「ゆとり」をしている人と塾で必死で勉強している人では得点力に差が出るのは当たり前でしょ。
 総合的な学習もゆとりも大切だと思う。でも、現場では、先生の数を減らされた。
 つまり、人減らし、予算削減の隠れ蓑だったわけ。教科指導以外にも「素晴らしい取り組み」としての総合的な学習を企画・運営しなければならないし、基礎的な学力の向上も図らなければならない。
 そのほかいろいろな仕事が増えてきて、この数年だけでも教科や学級指導に関わる仕事以外の作業がひたすら増えてきている。
 精神疾患の先生が増えていると言うが、さもありなん。
 入試制度の改革なしにゆとりの教育の旗振りで結局お金のない私たち貧乏人が割を食った形だ。
 長男は英語が苦手。高校、ひょっとして行くとしても大学入試に対して非常に不利だ。
 ってまぁ、長男の英語の苦手の理由を指導要領に求めても間違っているでしょうが、週3時間で英語が分かるようになると思っている文科省の「優秀なキャリア連中」は机上で電卓で計算しているだけだから何も見えていないんでしょうね。
 そんな連中が日本の未来を担う子どもたちの教育の根本を左右していると思うと危機感さえおぼえますね。
 
 日本の英語教育は原点は欧米に追いつけ追い越せを目指してきた。だから、英語で書かれた文書を読み解くところに力を注いできた。だから文法にもうるさいし、長文問題も出る。その流れを持ったまま、大学まで10年も英語を勉強してながら会話ができないといわれ続けてきたから、会話もできるようにと大きく変えた、いや内容を増やしたのに時間数を減らすなんて事をする。それだけで十分におかしいと思いませんか。
 私は英語関係じゃないからわからないけど、子どもたちのようすを見ていてそう感じますけど…。
 私が中学生の頃は5時間あった。(と思う) 今度の指導要領で高校の授業を英語で行うのなら、中学校での英語の時数をもっと増やすべきではないか? まぁ、週5時間だと毎日英語をすることになるのか。それ以上だと一日に二回以上になるってのも、ヤヴァいか。
 高校の英語の先生も大変だね。小学校から英語を始めるって話だし、小学校の先生も大変だ。
 で、日本語がおろそかにならないのか心配していたら、新しい指導要領ではすべての教科で日本語の強化に努めなければならないって話があるそうですが…。
 結局、英語も強化、国語も強化、数学も強化、理科も強化、体育も強化、道徳も強化、特活も強化、総合も強化…なにをしたいんですか。こんなのできるんですか?>文科省のエライ人
 
 …とまぁ、たまにはそれっぽい話題を書いてみましたが…。どうなるわけでなし…。